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2011年2月 8日 (火)

大相撲の八百長問題に関するツイート

以下、2月2日~8日にかけて、大相撲で携帯メールから八百長が発覚した件に関する、僕のツイート部分をまとめてみました。いちおう著作権に配慮(?)してw、ごく一部を除いて他の方のツイートやアカウントは削除してあります。ちょっと読みにくいので追々編集していこうと思っています。


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大相撲史上初めてのかなり有力な物的証拠になるかもしれませんね。メールでやり取りするなんて裏金を帳簿につけていた西武ライオンズ並みの愚かさ。警察は大相撲に友好的なはずだったんだけど何が起こってるんだろう 2011-02-02 13:41:04

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ステイクホルダーとの関係がまずいね。管轄の文部科学省はもちろん放映権を持つNHKもお堅いところだし次の場所も放送自粛かな。スポンサーは普通なら撤退どころか損害賠償請求されてもおかしくない事態。経営への影響は大きいだろうね 2011-02-02 23:58:21

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でも、今も報道ステーションで「ファンへの裏切り」みたいなこと言ってたけどおそらくひいき筋はみんな実態を知ってたはずだしコアなファンは「裏ぎられた」なんて思ってないと思う。小澤昭一さんみたいに 2011-02-02 23:58:49

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力士同士の互助システムで江戸時代からあったそうです。人情相撲といってケガの力士をかばってあえて引き分けにしたとか(昔は引き分けがあった)。お金で星のやりとりをしたのはたしか戦後からだったかと 2011-02-03 00:00:18

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部屋に出入りするくらいのひいき筋ならある程度は知ってたんじゃないでしょうか?ただ子供には説明できないよねw 2011-02-03 12:44:00

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それにひきかえテレビに出てくる「相撲評論家」がまるで知らなかったかのように「ファンへの裏切りだ」「大変なことになった」などと語るのに違和感を禁じ得ない。まあ彼らも週刊プロレスみたいなものだから仕方ないのか 2011-02-03 21:42:47

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あくまで競技団体のルール違反ですから民法や刑法は関係ないでしょうね。競技中の暴力なども報酬間的にはある程度まで競技団体内での「自治」が認められていますし 2011-02-04 01:55:28

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「社会」のとらえ方によると思います。大相撲は競技であると同時に力士の生活を支える仕組みでもあるわけです 2011-02-04 02:59:00

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具体的には収入のうち現役力士への配分(給与)を抑えて引退した力士である親方に配分する仕組みになっています。親方になるハードルはそれほど高くなくある程度幕内で現役を全うできれば生涯のキャリアが保証されます 2011-02-04 03:06:27

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相撲協会の組織は力士と元力士が相互に支え合う互助組織になっています。資源配分の仕組みだけでなく本場所間に行われる巡業で寝食を共にし賭け事に興じます。大相撲の八百長もそうした共同性が基礎にあります。共同意識の中にはもちろん競技者としての強さも含まれると思います 2011-02-04 03:18:24

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板井さんの本に詳しく書かれていますが、八百長はかような共同性をベースに一定以上の実力者が互いのヒエラルキーを守りながら互いにリスクヘッジする仕組み、ということです。星の売り買いという言葉に気を取られがちだけど、実は資本主義や自由主義とはあまり縁がないと思う 2011-02-04 03:23:00

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力士にとっての「社会」は相撲協会であり「資本のルール」ではなくあくまでも「彼らの社会のルール」に従っていると考えるべきだと思います。そしてそのルールは「一般社会」では通用しない。でもそのことは大相撲の周辺にいる人々はみんな知ってたはず。知ってて許容してきた
2011-02-04 03:26:26

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それは大相撲が身分社会だった頃の下層階級の生活を支える仕組みでありセーフティネットだったこととも関係すると思います。大相撲の制度的・社会的な意味や機能はたぶんそういうことでしょう 2011-02-04 03:37:06

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「伝統」や「文化」「国技」という標語も彼らが商売のために行ったブランディングの一環だし、「競技としての公平性」も時代に合わせて取り込んできたものだと思う。彼らを単なるスポーツの競技団体だとするのはあまりに表面的な理解だと思います 2011-02-04 03:39:54

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とはいえ大相撲に入門する若者が激減し外国人力士が増えてきているというのは大相撲の社会的意味や機能はもうだいぶ変質しているということなんでしょうね。自律したシステムとしてかなり完成度が高いのだけど、全体社会とのズレ、機能的な齟齬はもはや埋めがたい気がする・・ 2011-02-04 03:43:07

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うーん研究対象でもあるので釣られてあれこれ書いてしまったけど、まとめると大相撲の八百長と資本主義とか自由主義はあんまり関係ない、てかむしろ真反対だと思うんだけど、どうでしょう? 2011-02-04 03:46:57

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お身体大丈夫ですか?ちょっとお聞きしたいんですが相撲の八百長は法的にはどのような解釈になりますでしょうか?不当表示か詐欺で観客が訴えるくらいかなと思ってるんですが。 2011-02-04 10:02:55

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なるほど。管理不行き届きを文科省に注意されて終わり、ですね。ありがとうごさいます! RT 観客と契約しているのは相撲協会ですから、協会公認でない限り、詐欺や不当表示にはならない 2011-02-04 16:48:29

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やく氏が大相撲の文化コードを内面化したインサイダーだとすれば筋は通ってる。八百長と朝青龍の問題は別。 RT 「追求するのはヤボという気持ちだった」 http://t.co/RDdEGPN ks736877 2011-02-05 15:45:36

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知ってたくせに知らなかったかのようにコメントする「相撲評論家」よりは品格があると思う RT やくみつる氏「八百長は以前から知っていた」 http://t.co/RDdEGPN 2011-02-05 15:50:57

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そのくだらないムラ社会が力士やその周辺の階級の人々の生活を支えてきたのだけどね 2011-02-05 16:05:04

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僕らが喜んで消費してきた大相撲の世界観や伝統は「ムラ社会の同調圧力」によって守られてきたもの。今更そのコードの特殊性を「くだらない」と単純に切り離すことはできないと思うなあ。 まあ最初から「大相撲なんて大嫌い」というなら仕方ないけど 2011-02-05 16:26:24

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「品格、品格と騒ぐ連中」を含めて大相撲のアングルとして楽しむのが少し大人な大相撲の楽しみ方だと思いますw 2011-02-05 16:30:59

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「品格」は単なる相撲協会のキャッチコピーですから深く考えちゃダメですw RT http://t.co/DyfHVpY 2011-02-05 16:33:35

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しかし、日本人入門者の激減や外国人力士の増加、情報技術の発達・・「品格」も含め大相撲がムラ社会として存続し続けるのはもはや難しいな。残された道は「ディズニーランド化」かなw 2011-02-05 17:00:52

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協会内で力士は「キャスト」と呼ばれ、非正規化と低賃金化が進みます RT 「ディズニーランド化」w 2011-02-05 17:35:46

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あの非合理な世界観を合理的に維持できるかどうかはわかりませんw RT @ks736877 「ディズニーランド化」 2011-02-05 17:37:28

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ハロウィン場所とクリスマス場所を追加 RT ディズニーランド化 2011-02-05 17:41:09

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これまでも相撲協会は自覚的に伝統を「創造」してきたわけですが力士のキャリアにも関わる組織の経営改革が及ぼす影響は未知数ですね。急激な変革は避けた方がいい気がするけど漸進的にやろうとすると結局何も変わらないかもしれないw 2011-02-05 17:47:31

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で、「大相撲における「スポーツ・競技」という要素の価値をどう考えるか」「八百長はどこまで許せるか」ってことだけど、競技として興行してるので原則的には八百長はダメだよねやっぱりw http://ow.ly/3R29B 2011-02-07 00:43:09

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ただ、勝ち/負けの区別を原理として全てのルールを演繹的に構成する近代スポーツとは違って勝敗とは無関係のインフォーマルなルールが張り巡らされているのが大相撲で、それが独特の世界観と魅力を醸し出し、観客もそれを期待しているわけですよね 2011-02-07 00:44:24

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一連の形式的な段取りや大銀杏みたいなギミックあるいは江戸時代から「人情相撲」があったように「西洋由来でない」競技として大相撲が発展してきたのは確かだろうし、それがあの興行の最大の魅力でもあるわけです。相撲の「競技」部分だけで果たして今のような地位を築けたかどうか 2011-02-07 00:47:12

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ちなみに「国技」というのは大相撲の「自称」でギミックだからねw 2011-02-07 00:47:55

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で、同時に相撲は単なる競技ではなく力士はじめ関わる人々の生活の糧でもある。組織としてはもちろんこっちが優先だし、このことも競技とは無関係ではありえない。相撲の「競技の運営」と協会や部屋など業界の「ビジネスの経営」を区別しつつ、両者を関連づけて議論しないといけない 2011-02-07 00:50:40

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そして相撲のビジネスにおける資源の再分配や互酬のシステムと、あの世界観を構成する非競技的なギミックや非言語的・身体的なコードの継承との間には深い繋がりがある 2011-02-07 00:58:11

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つまり相撲業界は競争のシステムというより日本的な企業の再分配システムで共同体の互酬システムだというのが中島隆信さん「大相撲の経済学」の要点だったと思う。経営を近代化したり興行を競技化して大相撲の生活共同体を壊したらあの世界観も失われるよ?という 2011-02-07 01:03:17

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小澤昭一さんが嘆いているように、そういう背景を踏まえつつ暗黙のコードを了解しつつみるのが大相撲観戦だったんだろうけど、社会環境が変わりそういう背景を踏まえない一見のファンも増えて、暗黙のコードが許容される範囲がどんどん狭まっている 2011-02-07 01:09:03

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あとこれは僕の仮説だけど、数少ないガチ力士が日本人だけで、朝青龍が八百長三昧だったという週刊現代の報道が本当なら、相撲協会内部でも暗黙のコードが変質してきてるのかもしれない /「"ガチンコ力士"はいるのか?」http://ow.ly/3Rbhn 2011-02-07 01:12:25

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というわけで競技面では競技化を徹底し経営面では共同体的な馴れ合いを断ち切って近代的合理的な経営に向かわざるを得ないってことになりそう。で、あの世界観をどう維持するのかとなるとギミックとしてますます自覚的に演出する「ディズニーランド化」するのかなあ、と 2011-02-07 01:16:11

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まあ小澤さんが考えるより実態はずぶずぶだったのかもねw 「人情」じゃなくて「馴れ合い」ということになると「共感」も得られにくいよね 2011-02-07 01:41:54

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いや大相撲はかなりしたたかに競技化と彼ら自身のコードを両立させてきたと思うよ 2011-02-07 01:26:24

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相撲協会って力士だけで構成されてるわけで、既存システムから便益を得てる人ばかりだから「アカン」という人がいても難しいだろう 2011-02-07 01:47:49

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例えば微妙な判定の際に土俵際にいる審判員による協議で行司判定が覆ることがあるけど、 2011-02-07 01:50:18

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あれってNFLで導入してるビデオ判定の先を行く先進的なシステム。だけどよく考えると協議してる審判は親方。一見競技の公平性を保つシステムだけどそうみせるためにやってるとしたらすごいしたたか。いや邪推だけどねw 2011-02-07 01:57:51

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ただ八百長(無気力相撲)に罰則を与える制度を作ったけどあれもチェックするのは親方で、ここらへんになるとさすがに自作自演も限界にきてる気がするね 2011-02-07 02:00:48

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公営競技化とかWWE化とか極論に走りたくなるのはわかるけどw、ちょっとしたことを変えて八百長のインセンティブを減らすだけでもだいぶよくなるんじゃないかと思っています。ただそのちょっとしたことが既存力士や親方の便益を大きく左右するので難しいんですけどね 2011-02-07 02:09:30

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まあディズニーランドはまじで参考になると思うな 2011-02-07 02:17:21

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厳罰化は無意味ですね。個別の八百長を証明するのは不可能に近いしチェックするのも元力士の親方だからモニタリングが機能するわけがないw 考えられるのは給与体系の変更 2011-02-08 02:32:34

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力士の給与は能力給と年功給の2階建てで能力給は番付によって上がる月給と優勝賞金、懸賞金等、年功給は褒賞金と呼ばれる業績に応じた出場給。詳しくはWiki参照だけど、このうち大相撲は能力給のインセンティブが著しく低い 2011-02-08 02:32:57

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月給は横綱と平幕で2倍くらいしか違わないし、平幕なら前頭筆頭も16枚目も同じ。横綱でも正規の給与総額は年4,5千万円で平幕と2,3倍しか違わないし、プロ野球のトップクラスとは10倍の差がある。大相撲の象徴であり降格がなく負けが込んだら引退のリスクに全く見合わない 2011-02-08 02:35:42

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つまり力士にとって優勝や横綱を目指すより現役でできるだけ長く取ることにインセンティブがある。8勝7敗の勝ち越しで場所を終えればOKで9勝10勝してもあまりメリットはない。これに普段からの付き合いや馴れ合いが重なれば八百長が起こらないのがおかしいくらいw 2011-02-08 02:39:46

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八百長が起こりにくくするには年功給を縮小し能力給を強化する。褒賞金を廃止して優勝賞金は1億円。ゴルフみたいに順位や勝ち星に応じて賞金を出す。月給も番付によって細かく設定して格差を拡大。1勝の価値が賞金と番付で50万くらいになると価格的に八百長が成立しにくくなる 2011-02-08 02:41:30

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また競争が激しくなって番付の流動性が高まると八百長が成立しにくくなります。板井さんの本によれば八百長が成立しやすいのは力士の流動性が低く本場所や出稽古や巡業でいつも対戦していて力士が互いの実力を知り尽くしているため交渉が成立しやすいからだとか 2011-02-08 02:42:42

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こうした競争の強化でおそらく力士の現役寿命も短くなる。成員の流動性と不安定性の増大は、中島隆信さんが指摘するように馴れ合いを減らす代わりに文化や世界観の継承を大きく損なう可能性もあります。難しいところ。マネジメント(ディズニーランド化)でどこまで維持できるか 2011-02-08 02:46:17

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あと問題は横綱。降格できないから2場所連続負け越しで即引退なんて年俸10億くらいもらわないと割に合わない。誰もなりたがらないから横綱にされそうになったらお金を払ってでも負ける力士が出てくるかもw 2011-02-08 02:48:55

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いずれにせよ「改革」は既存のほとんどの力士や親方にとってメリットないどころか大きな損失なので相撲協会の親方ガバナンスでは何も変わらないのは間違いないww 2011-02-08 02:54:39

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ええあれはあれで完成されたシステムだと思います。完成されてるからこそ変えにくい 2011-02-08 13:38:04

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心は審査できないし本質的な問題ではありません。心の問題とかモラルの問題に焦点化するのは本質的、構造的な問題解決を遅らせるだけだと思います 2011-02-08 13:42:51

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横綱をどうするかですね。神様に体重はありませんから RT 相撲に体重別階級制 2011-02-08 14:22:49

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暴力団‐相撲、相撲-八百長、で相撲‐八百長‐賭博というのは安易すぎる気がするな。八百長が共同体の互助システムなら少なくとも実態を知ってるやくざ同士で相撲賭博は成立しないし、やくざが相撲界と”親密な関係”にあるなら立件されるような行為はしないと思うんだけど。見方が甘いかな? 2011-02-08 17:26:31

2010年8月25日 (水)

「全力疾走w」のネタ元のサイトが閉鎖された件

昨日書いた「全力疾走しなかった高校球児を実名で晒したスポーツライター君」に関する記事の件ですが、直後にネタ元のサイトが閉鎖されたようです。やはりどちらからか抗議があったもよう。「魚拓」も削除されていますが、探すとネタ元の記事のキャプチャー画像を掲載しているサイトもありました。ちなみに僕がこの記事を書いたきっかけになった、ツイッターに流れてきた別のまとめサイトはこちら

また、別の方から、このライター氏が今年の春の甲子園の際に書いた、まったく同様の記事を教えてもらいました。

球児たちに伝えたい“全力疾走”の大切さ (2/2)

内容的にはほぼ同じです。
粘着質な方のようで。
#人のこと言えませんがw

ああいう記事でライターとしてやっていけてるということは、一定の需要があると言うことでしょう。

まあ社会は多様であるし、こういう濃いキャラクターの方にはぜひまたネタを提供していただければと思います。

2010年8月24日 (火)

全力疾走w

中小企業勤めで2歳と0歳の子育て中の身には昼間っからテレビ見ながらのんびりする時間は皆無な訳で、いつの間にか甲子園も終わってた訳ですが、昨日、ツイッターで興味深いブログ記事が流れてきました。

「第92回選手権大会総括 レベルの低い大会――。」

「レベルの低い」というのは何のことかと思ったら、「打ったあと1塁へ全力疾走しない選手が多かった」という話。ご丁寧に1塁までの到達時間ワースト10の選手と、全く走らなかった選手を実名で晒しています。ここまでするのだから全試合・全選手の記録を測ったのでしょう。私には羨ましい時間の使い方です。

 

この記事の議論の特徴は、一つめは、「1塁に走る」という行為が、野球の戦術や、前後左右の文脈と全く無関係に取り上げられているということ。二つめは、その行為を選手の精神性、特にモラルと無根拠に因果接続していることです。

 

簡単に言うと、1塁に全力疾走しないとはけしからん」という話。

本当に、ただそれだけの話。

 

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ゴロでもフライでもエラーをする可能性が常にあるので、「打ったあと1塁に全力疾走する」というのは野球の基本です。でもそれは、精神力とかモラルの問題ではなく、野球というゲームのメカニズムから導き出される極めて合理的な行為選択。野球は勝敗を競うゲームなのですから、全力疾走する理由は「勝つため」。それだけです。

 

「勝つこと」が目的ですから、戦略的にはあえて「全力疾走しない」という選択さえあり得ます。なにしろこの猛暑の中、連日、日中の最高気温下でも試合をしているのです。これまでの大会と比較して多くの選手、チームが1塁に全力疾走していないのだとすれば、それは「気温が高く体力の消耗が激しいから」と考えるのが筋。全力疾走して塁を拾うか、体力をセーブするかというトレードオフの問題で、どちらを選択するかという戦術的な問題です。監督が指示するのは考えにくいとしても、選手が体力をセーブしているのを監督があえて注意しないということはあるかもしれない。このライター氏は1塁への到達タイムを一生懸命計っているのですが、気温など環境条件をコントロールして、これまでの大会と比較しないと数値には意味がないし、フェアじゃない。

 

このコンディショニングの問題は、かなり重要な論点になるはずです。このライター氏は、あの投手は打っても全力疾走してるのに、あの投手はカバーリングすらしない、などと比較してバッシングしていますが、体力やコンディションには個人差があります。ゲームのキャラクターじゃあるまいし、高校球児の体力やコンディションが皆同じなわけないでしょう。

 

先の南アフリカW杯で、わが日本代表がカメルーンやデンマークに走り勝ったのは、「代表選手の精神力が相手を上回ったから」でしょうか?後述しますが、そういう「精神論」はいくらでも言えるけど検証はできない。だから「気持ちで勝った」なんてバカでも言える。実際、バカなんでしょう。バカなのは罪ではありませんが、検証できないとわかってて安易に「気持ちの問題」などと言う無責任は罪だと思う。

 

それより、高地トレーニングをはじめとした医科学スタッフやトレーナーによるコンディショニングについて議論する方が、検証もできるしはるかに責任ある建設的な議論ができる。全力疾走できているチームはコンディショニングがうまくいっているのかもしれない、できていないチームはうまくいっていないのかもしれない、それはなぜだろう、チームにコンディショニングのトレーナーがついているところとそうでないところの差なのか、あるいは遠征の距離の問題なのか・・、といったぐあいにです。このライター氏は、なぜそうした合理的で責任ある議論ができないのでしょう。

 

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あるいは、この関連のツイートをしていると、ある友人が「でもメジャーリーグでも1塁への全力疾走は高年俸をもらっている選手の義務であり誇りだと本に書いてあった」とツイートしてきた。

 

だから義務とか誇りじゃなくて合理的選択なんだよw

 

また、メジャーリーグには大差で勝っているチームが試合の終盤で「盗塁しない」「バントをしない」「カウント0-3から打ちに行かない」といったアンリトン・ルールがあります。これを破ると次の打席で150kmの直球が頭に飛んでくる。

 

倒れている相手の顔をさらに踏みつけるような行為と考えられているからとか。アンリトン・ルールだから適用はいい加減ですが、この文脈で考えると、おそらく同様の状況ではメジャーリーガーも全力疾走しないと思います。

 

こういう前後左右の「文脈」を考慮しないと、行為の本当の意味は理解できません。本来の「勝つための合理的選択」という文脈から切り離して、「全力疾走しなかった」と一部の行為だけを取り上げるのは、ただの言い掛かり、揚げ足取りにすぎません。

 

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さらにこのライター氏は、揚げ足取ったうえで、その「全力疾走しなかった」原因を選手の精神性やモラルに因果帰属させて叩いています。俗に言う「精神論」です。ここでは、本来の目的である「ゲームに勝つこと」が抜け落ちて、全力疾走が自己目的化しています。まさに太平洋戦争時の日本軍、などというのもいまどき古くさいたとえですが、このライターにとって高校野球は野球のゲームではなく、猛暑の中ひたすら全力疾走してもがき苦しむ若者を観て楽しむショーなのです。

 

私はいちおうスポーツの研究や教育を生業にしているので、この手の精神論はいろんな意味で看過できません。上でも書きましたが、精神論の問題は、人の「精神」なんて検証できないので誰でもどうとでもいえるし、いくらでも因果関係を捏造できてしまうところにあります。検証が難しいから仮説どまりの空論をいくらでも再生産できる。繰り返しますが、精神論は無責任なのです。

 

まさに、そこいらのおっちゃんおばちゃんでも、「気持ちがたるんでる!」くらいのことはいくらでも言える。「たるんでるのか・たるんでないのか」なんて検証できないから、実は素人相手でも説得するのが難しい。これは僕もよく経験してきましたw

 

実際、人はわかりやすい見かけの因果関係にとびつきやすい。述べたように、行為には複雑な前後左右の文脈がつきまといますが、それらを一つ一つ検証するより、「気持ちが足りないから」と言った方が早いし、わかったような気になる。

 

一方、客観的な検証ができないことを逆手にとって、内面のインモラルの隠蔽やアリバイに利用されることもあります。「全力疾走してるからモラルが高い」とは限らない。運動部活動の経験のある方ならぴんと来るでしょう。僕もぴんぴん来ますw

 

このツイートをしていたら、ある友人が、惨敗したアテネオリンピックの時の、ある選手の敗戦間際のヘッドスライディングの例を挙げてくれました。僕も、ものすごく興ざめしたのを覚えている。その選手の真意はわからないけど、文脈的に極めて印象が悪かった。

 

「一生懸命やったんだから許して」って、おいおいそこで高校野球根性かよと。それでもプロかよと。プロは全力疾走云々じゃなくて結果がすべてだろうと。いや、プロも高校野球も、スポーツはすべてそうなんだけど。

 

#ちなみに、この冷泉彰彦さんのコラムも今回の話題に関連しています。


まあ、「全力疾走しなかった」とか「ヘッドスライディングしなかった」→「気持ちが足りなかった」ことを平気で「敗因」に挙げる解説者やジャーナリストがマジでうようよいるので、選手だけのせいでもないのですが。

 

#「渇!」とか言ううっとおしい老人とかw

 

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いずれにせよ、このライター氏は、少なくともこのブログの記事の段階では「全力疾走しない」という「印象」を客観的に検証することもなく、また全力疾走しなかった選手や監督にその理由や背景について聞くこともしていないようです。

 

#ただ筆者がほめている選手には話を聞いたらしい。

#結論ありきで期待通りのコメントをくれそうな都合のいい相手を選ぶというパターンのやつw

 

でも、それってスポーツライター失格でしょう。

 

全試合・全選手のタイムを計るのは結構たいへんでしょうが、やろうと思えば誰でもできる。うちの学生でもできるw しかし、選手や監督に直接話を聞けるのはライターの特権だし、仕事でしょう。

 

このライター氏は、問題があると思ったのなら試合環境の違いや選手の心理やコンディション、監督の意図や戦略等を考慮して洞察し、取材して検証するべきでした。その洞察力がなかったのか、野球の戦術を理解する能力がなかったのか、あるいはスポーツコンディショニング等の知識がなかったのか。

 

あるいは、その能力があったのにしなかったとしたら、ますますタチが悪い。そうした検証のコストを惜しみ、安易で無責任な精神論(説教)に逃げたということです。

 

つまり、スポーツライターとしての「全力疾走」を怠ったのは彼の方ではないか。

 

こんな「レベルの低い」ライターに言い掛かりをつけられ、名前を晒された高校球児の皆さんには心より同情する次第です。

 

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