中小企業勤めで2歳と0歳の子育て中の身には昼間っからテレビ見ながらのんびりする時間は皆無な訳で、いつの間にか甲子園も終わってた訳ですが、昨日、ツイッターで興味深いブログ記事が流れてきました。
「第92回選手権大会総括 レベルの低い大会――。」
「レベルの低い」というのは何のことかと思ったら、「打ったあと1塁へ全力疾走しない選手が多かった」という話。ご丁寧に1塁までの到達時間ワースト10の選手と、全く走らなかった選手を実名で晒しています。ここまでするのだから全試合・全選手の記録を測ったのでしょう。私には羨ましい時間の使い方です。
この記事の議論の特徴は、一つめは、「1塁に走る」という行為が、野球の戦術や、前後左右の文脈と全く無関係に取り上げられているということ。二つめは、その行為を選手の精神性、特にモラルと無根拠に因果接続していることです。
簡単に言うと、「1塁に全力疾走しないとはけしからん」という話。
本当に、ただそれだけの話。
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ゴロでもフライでもエラーをする可能性が常にあるので、「打ったあと1塁に全力疾走する」というのは野球の基本です。でもそれは、精神力とかモラルの問題ではなく、野球というゲームのメカニズムから導き出される極めて合理的な行為選択。野球は勝敗を競うゲームなのですから、全力疾走する理由は「勝つため」。それだけです。
「勝つこと」が目的ですから、戦略的にはあえて「全力疾走しない」という選択さえあり得ます。なにしろこの猛暑の中、連日、日中の最高気温下でも試合をしているのです。これまでの大会と比較して多くの選手、チームが1塁に全力疾走していないのだとすれば、それは「気温が高く体力の消耗が激しいから」と考えるのが筋。全力疾走して塁を拾うか、体力をセーブするかというトレードオフの問題で、どちらを選択するかという戦術的な問題です。監督が指示するのは考えにくいとしても、選手が体力をセーブしているのを監督があえて注意しないということはあるかもしれない。このライター氏は1塁への到達タイムを一生懸命計っているのですが、気温など環境条件をコントロールして、これまでの大会と比較しないと数値には意味がないし、フェアじゃない。
このコンディショニングの問題は、かなり重要な論点になるはずです。このライター氏は、あの投手は打っても全力疾走してるのに、あの投手はカバーリングすらしない、などと比較してバッシングしていますが、体力やコンディションには個人差があります。ゲームのキャラクターじゃあるまいし、高校球児の体力やコンディションが皆同じなわけないでしょう。
先の南アフリカW杯で、わが日本代表がカメルーンやデンマークに走り勝ったのは、「代表選手の精神力が相手を上回ったから」でしょうか?後述しますが、そういう「精神論」はいくらでも言えるけど検証はできない。だから「気持ちで勝った」なんてバカでも言える。実際、バカなんでしょう。バカなのは罪ではありませんが、検証できないとわかってて安易に「気持ちの問題」などと言う無責任は罪だと思う。
それより、高地トレーニングをはじめとした医科学スタッフやトレーナーによるコンディショニングについて議論する方が、検証もできるしはるかに責任ある建設的な議論ができる。全力疾走できているチームはコンディショニングがうまくいっているのかもしれない、できていないチームはうまくいっていないのかもしれない、それはなぜだろう、チームにコンディショニングのトレーナーがついているところとそうでないところの差なのか、あるいは遠征の距離の問題なのか・・、といったぐあいにです。このライター氏は、なぜそうした合理的で責任ある議論ができないのでしょう。
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あるいは、この関連のツイートをしていると、ある友人が「でもメジャーリーグでも1塁への全力疾走は高年俸をもらっている選手の義務であり誇りだと本に書いてあった」とツイートしてきた。
だから義務とか誇りじゃなくて合理的選択なんだよw
また、メジャーリーグには大差で勝っているチームが試合の終盤で「盗塁しない」「バントをしない」「カウント0-3から打ちに行かない」といったアンリトン・ルールがあります。これを破ると次の打席で150kmの直球が頭に飛んでくる。
倒れている相手の顔をさらに踏みつけるような行為と考えられているからとか。アンリトン・ルールだから適用はいい加減ですが、この文脈で考えると、おそらく同様の状況ではメジャーリーガーも全力疾走しないと思います。
こういう前後左右の「文脈」を考慮しないと、行為の本当の意味は理解できません。本来の「勝つための合理的選択」という文脈から切り離して、「全力疾走しなかった」と一部の行為だけを取り上げるのは、ただの言い掛かり、揚げ足取りにすぎません。
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さらにこのライター氏は、揚げ足取ったうえで、その「全力疾走しなかった」原因を選手の精神性やモラルに因果帰属させて叩いています。俗に言う「精神論」です。ここでは、本来の目的である「ゲームに勝つこと」が抜け落ちて、全力疾走が自己目的化しています。まさに太平洋戦争時の日本軍、などというのもいまどき古くさいたとえですが、このライターにとって高校野球は野球のゲームではなく、猛暑の中ひたすら全力疾走してもがき苦しむ若者を観て楽しむショーなのです。
私はいちおうスポーツの研究や教育を生業にしているので、この手の精神論はいろんな意味で看過できません。上でも書きましたが、精神論の問題は、人の「精神」なんて検証できないので誰でもどうとでもいえるし、いくらでも因果関係を捏造できてしまうところにあります。検証が難しいから仮説どまりの空論をいくらでも再生産できる。繰り返しますが、精神論は無責任なのです。
まさに、そこいらのおっちゃんおばちゃんでも、「気持ちがたるんでる!」くらいのことはいくらでも言える。「たるんでるのか・たるんでないのか」なんて検証できないから、実は素人相手でも説得するのが難しい。これは僕もよく経験してきましたw
実際、人はわかりやすい見かけの因果関係にとびつきやすい。述べたように、行為には複雑な前後左右の文脈がつきまといますが、それらを一つ一つ検証するより、「気持ちが足りないから」と言った方が早いし、わかったような気になる。
一方、客観的な検証ができないことを逆手にとって、内面のインモラルの隠蔽やアリバイに利用されることもあります。「全力疾走してるからモラルが高い」とは限らない。運動部活動の経験のある方ならぴんと来るでしょう。僕もぴんぴん来ますw
このツイートをしていたら、ある友人が、惨敗したアテネオリンピックの時の、ある選手の敗戦間際のヘッドスライディングの例を挙げてくれました。僕も、ものすごく興ざめしたのを覚えている。その選手の真意はわからないけど、文脈的に極めて印象が悪かった。
「一生懸命やったんだから許して」って、おいおいそこで高校野球根性かよと。それでもプロかよと。プロは全力疾走云々じゃなくて結果がすべてだろうと。いや、プロも高校野球も、スポーツはすべてそうなんだけど。
#ちなみに、この冷泉彰彦さんのコラムも今回の話題に関連しています。
まあ、「全力疾走しなかった」とか「ヘッドスライディングしなかった」→「気持ちが足りなかった」ことを平気で「敗因」に挙げる解説者やジャーナリストがマジでうようよいるので、選手だけのせいでもないのですが。
#「渇!」とか言ううっとおしい老人とかw
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いずれにせよ、このライター氏は、少なくともこのブログの記事の段階では「全力疾走しない」という「印象」を客観的に検証することもなく、また全力疾走しなかった選手や監督にその理由や背景について聞くこともしていないようです。
#ただ筆者がほめている選手には話を聞いたらしい。
#結論ありきで期待通りのコメントをくれそうな都合のいい相手を選ぶというパターンのやつw
でも、それってスポーツライター失格でしょう。
全試合・全選手のタイムを計るのは結構たいへんでしょうが、やろうと思えば誰でもできる。うちの学生でもできるw しかし、選手や監督に直接話を聞けるのはライターの特権だし、仕事でしょう。
このライター氏は、問題があると思ったのなら試合環境の違いや選手の心理やコンディション、監督の意図や戦略等を考慮して洞察し、取材して検証するべきでした。その洞察力がなかったのか、野球の戦術を理解する能力がなかったのか、あるいはスポーツコンディショニング等の知識がなかったのか。
あるいは、その能力があったのにしなかったとしたら、ますますタチが悪い。そうした検証のコストを惜しみ、安易で無責任な精神論(説教)に逃げたということです。
つまり、スポーツライターとしての「全力疾走」を怠ったのは彼の方ではないか。
こんな「レベルの低い」ライターに言い掛かりをつけられ、名前を晒された高校球児の皆さんには心より同情する次第です。
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