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論文・評論・学会発表

2010年10月28日 (木)

bjリーグの貴重な挑戦

日本体育協会の公認スポーツ指導者10万人に配布される「指導者のためのスポーツジャーナル」2010年秋号に掲載されたコラムです。体協の許可を得て転載。

bj
リーグの貴重な挑戦

江戸川大学社会学部経営社会学科 准教授、本誌編集委員 澤井 和彦

わが国で初めてのプロバスケットボールリーグとして2005年に6クラブで開幕したbjリーグは、2010-2011シーズンには16クラブに拡大する。しかし、昨シーズンオフに高松ファイブアローズの運営会社が倒産するなど、その経営は必ずしも順調とはいえないようだ。一方、もう一つのトップリーグであるJBL(日本バスケットボールリーグ)は、現在でも8クラブ中6クラブが企業スポーツクラブ(企業クラブ)である。企業スポーツとは、企業が福利厚生を目的に社員のスポーツ活動を支援する制度であり、企業スポーツ選手は企業の正規社員、企業クラブは企業のコストセンターである。bjリーグが設立される直前のJBLには、トヨタや東芝など7つの企業クラブに対し、親会社が撤退して企業クラブからプロクラブへ移行した新潟アルビレックス(現・新潟アルビレックスBB)が参加していた。

 待遇面でJBLと格差

 営利企業である新潟アルビレックスは興行を行って収益を挙げなければならないが、企業のコストセンターである企業クラブは興行を行う必要がない、というより「できない」。当時、JBLは主に各地区協会が主催する全国巡業でリーグ戦を行っており、新潟は十分なホームゲームを確保できなかった。JBL自体は1990年代中ごろから常にプロ化を志向していたが、企業クラブの反対で実現に至らず、業を煮やした新潟と、やはり2部に所属していたプロクラブのさいたまブロンコス(現・埼玉ブロンコス)はJBLを脱退してbjリーグを設立した。参加クラブの減少とライバルの出現に直面したJBLも、その後新しくプロクラブを加えてようやくホーム&アウェイ方式でのリーグ戦をスタートさせた。ただし、相変わらすほとんどの企業クラブはJBL内部の興行運営セクション(JBO)等に興行を委託している(図)。今年に入ってFIBA(国際バスケットボール連盟)の要望もあり、両リーグは将来的な統合を目指すことで合意したと伝えられるが、企業スポーツとプロスポーツの制度的な溝は深い(図)。

 

JBLの企業クラブとbjリーグのプロクラブの収益構造

 Bjjbl

 

例えば、報道等によるとbjリーグとJBLの両リーグの1クラブあたりの運営費はともに24億円と言われるが、興行を行わない企業クラブは専属のスタッフを持たない場合も多く、運営費のほとんどが選手やコーチの人件費である。一方、営利企業であるbjリーグのプロクラブは、一般管理費などに加えて宣伝費や運営費などの割合が高く、サラリーキャップで選手の人件費総額を7,300万円(2009年)に制限している。つまり、JBLの企業クラブとbjリーグのプロクラブとの間には、選手の待遇にかなりの格差が生じている。報道や筆者の独自調査によれば、企業クラブの選手の報酬は嘱託契約選手で4501,500万円、プロ契約選手で1,000万円から日本代表クラスで2,000万円にもなる。正規社員の選手は同年代の一般社員と同様の300700万円だが、これに福利厚生と引退後のキャリア保証がつく。一方、bjリーグの日本人選手は400500万円、練習生契約で200万円程度という例も聞く。もちろん、引退後のキャリアの保障はない。

 両リーグ統一の難しさ

 こうした選手の待遇格差は競技力の格差につながる。昨年、プロクラブであるリンク栃木がJBLで優勝したことは称賛に値するが、その要因としてリンクアンドモチベーションという親会社の存在は無視できない。同じプロクラブでも、大口スポンサーを持たないレラカムイ北海道は下位に低迷したままである。

JBLの企業選手の給与は親企業の賃金体系によるものであり、興行の成否とは無関係である。一方、bjリーグの選手の給与は興行の成否とクラブの収益に直結している。多くのスポーツ関係者が誤解しているが、プロスポーツ選手の給与は競技成績ではなく、お客さんの数に比例する1試合あたりの観客動員数ではbjリーグがJBLを凌いでいるし、レラカムイ北海道はJBLでトップクラスの動員力を誇るが、プロクラブが企業クラブに匹敵する給与を選手に支払うためには、現在の倍以上の売り上げが必要だ。このまま統合しても、中長期的にはリーグの上位を企業クラブが占め、bjリーグのプロクラブのほとんどは下位に甘んじることになるだろう。逆に企業クラブをすべてプロクラブ化すれば、ほとんどの選手の給与は大幅に減少するし、選手の引退後のセカンドキャリアが大きな問題になる。両者の統合には制度的・経営的に高度なテクニックが必要になると思う。

 避けられない「プロ化」

 バスケットボールに限らず、現在でも企業スポーツに未練を持つスポーツ関係者は少なくない。確かに、既存の企業クラブはできるだけ維持するのがよいと筆者も考える。しかし、企業スポーツは近代化の過渡期で高度経済成長期だったわが国の、きわめて特殊な状況で発展した過去のシステムである。その条件のほとんどが失われた現在、競技の発展を志すのであれば、クラブやリーグの「プロ化」は避けて通れない。この点で、bjリーグの挑戦はバスケットボール界にとってきわめて重要な意味がある。述べたように、自ら興行を行わない企業クラブには独立したクラブ経営やスポーツビジネスの人材やノウハウが蓄積されていないbjリーグが四苦八苦して蓄積している人材やノウハウは、今後の業界の発展にとって貴重な資源になるはずだし、そうしなければならないだろう。

澤井和彦「bjリーグの貴重な挑戦」指導者のためのスポーツジャーナル、日本体育協会、2010、pp46-47

大都市におけるスポーツ施設の施策について

以下は今年の5月にある自治体の委員会の報告書のために書いた文章です。自治体の名前を出さないという条件で許可を得て転載します。
#タイトル含め適宜修正しています

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「大都市におけるスポーツ施設の施策について」
江戸川大学社会学部 澤井和彦

1.公共空間を利用する

笹川スポーツ財団のスポーツライフ調査(2008年)によれば、運動・スポーツ実施率上位の種目は、1位散歩、2位ウォーキング、3位軽体操をはじめ、9位キャッチボール、10位サイクリングといわゆるスポーツ施設を使わない種目が上位を占める。また、かつて筆者がスポーツライフ調査(2004年)分析したところ、過去1年間に「公共スポーツ施設」を利用したことがあると答えた人が27.5%、「民間スポーツ施設」が27.9%であるのに対し、「道路・公園・河川敷などの公共空間」を利用したという回答が47.4%だった。こうしたデータをみると、「だからもっとスポーツ施設を整備しなければ」などと思われるかもしれない。

しかし、人口密度の高い大都市では、いくらスポーツ施設を建設しても砂漠に水を撒くようなものだ。地価を考えると「費用対効果」なんて単語は口が裂けても言えない。都心の一等地に「利用料1回600円で市民の1%も利用しない公共スポーツ施設」なんて、気の遠くなるような「機会費用の損失」と「資源の不平等分配」だ、と経済学者なら言うだろう。

しかしそれ以上に、最近のマラソンブーム、自転車ブームを見ても、公共空間を利用したスポーツの隆盛は「施設がないからしかたなく」という理由では説明がつかない。

こうしてみると、私たちは「スポーツをする人」を増やすためにスポーツ施設にこだわる必要はない。手頃な公園や広場が十分に整備されていればいいし、「思わず歩きたくなる遊歩道」でも「サイクリングしたくなる海岸線」でもいい。「スポーツできる公共空間」はスポーツ施設よりも低コストで整備・管理できるだろうし、都市計画の一部として適切にデザインされれば、その便益にあずかる人の数はスポーツ施設の比ではないだろう。

2.交流の場としてのスポーツ空間

スポーツを行う場所がスポーツ施設である必要がないように、スポーツ施設がスポーツをする人のためだけのものと考える必要もない。

かつて筆者が横須賀基地で米軍のクラブチームとアメリカンフットボールの試合をしたとき、基地内の施設を見ると野球場やバスケットボールコートなど、ほとんどのスポーツ施設に観客席が設置されていた。また、ただの“草試合”であるにもかかわらず、スタンド横の屋台では黒人のおばちゃんがハンバーガーを焼いて“観客”(選手の家族や友人)に売っていた。こうした欧米のスポーツ施設やスポーツの光景をみると、彼らにとってスポーツとは、いかなるレベルであっても「する人」だけでなく「観る人」のためのものでもあると感じる。

社会学者の吉見俊哉によると、わが国でも戦前まで学校の運動会は「村の祭り」だったし、当時は政府が運動会を村の祭りから切り離そうとやっきになっていたという。

運動会と日本近代 (青弓社ライブラリー)
吉見 俊哉 平田 宗史 入江 克己 白幡 洋三郎 木村 吉次 紙透 雅子
4787231677

しかし、現在のわが国はほとんどのスポーツから「観る文化」を排除してしまっている。スポーツ施設には公共施設にも学校施設にもたいてい観客席はついていないし、アメニティや飲食スペースなども極めて貧弱だ。筆者が家族で都心の公共体育館に友人の試合の応援に行った時、授乳室も、トイレにおむつ替え台もなく、妻はやむなく更衣室を借りて4か月の娘に授乳していた。

ちなみにこの施設は最近リフォームされたばかり。体育館の横にはフィットネスクラブのようなトレーニング室もできている。しかし、子ども連れで試合を応援に来る人のことはいっさい考えていない。

そういう意味では、いまどき民間の商業施設の方がより多くの人々に開かれているという意味でよほど公共性がある。乳幼児を抱えるわが家が家族で出かけるのは、スポーツ施設ではなくこうした商業施設だ。

いまさら施設の改修は難しいかもしれないが、敷地内に簡易なホスピタリティ施設を設置するなど、「観る人」にも居心地のいい、人々が交流する空間として整備することは考えられるかもしれない。様々なイベントと共催して相乗効果で「祭りとしてのスポーツ」を演出することも考えられるだろう。「お祭り」ならスポーツを観はじめたばかりの子どもや彼女も連れていきやすい。また、スポーツ目的でない、いろいろな人が集まることで、施設にとっても競技団体にとってもよいプロモーションの機会になるかもしれない。また、イベント1回当たりの規模はたいしたことはないかもしれないが、年間を通じて毎週のように各地で定期開催すれば、トータルで一定の経済効果が期待できるかもしれない。

こうして「日常的な祭り」として多様な人々に開かれ、その交流の場となることで、ようやく公共スポーツ施設がその機能を発揮したといえるのではないだろうか。

3.都市づくりの中心としてのスタジアム

最後に、大規模なスタジアムやアリーナの場合を考えてみよう。ここでもやはりテーマはスポーツをする人のためだけでないスポーツ施設である。

筆者がJリーグの調査で訪れたイングランドサッカー2部リーグのコヴェントリー・シティFCのフランチャイズである「リコー・アリーナ」は、都市郊外の再開発計画の中心として建設されたもので、サッカークラブの知名度と露出を利用して開発地域の付加価値を高めようと計画された。公共施設だが民間の経営手法を大胆に取り入れて設計・経営されており、ラグジュアリー・ボックスやビジネスラウンジといったホスピタリティ(接待)用の施設を設置して興行における収益の向上を図るとともに、スタジアムの付帯施設としてホテルやレストラン、コンベンションセンター、フィットネスクラブやカジノを備え、サッカー興行の有無に関係なく収益を挙げることができるようになっている。

これにはスタジアムの維持管理や運営、改修などに公的資金の追加支出が発生しないようにするというだけでなく、雇用を創出して地域経済を活性化するという目的がある。コヴェントリー市によれば、2006年にはアリーナだけで2,700人の雇用を生み出し、開発全体で貧困層の多い地域住民の平均所得を5%上昇させたという。また、アリーナには社会教育施設や公共ホールも設置され、住民に開放されるとともに、子どもの課外教育や若者の職業訓練などが行われている。

このように、リコー・アリーナはフランチャイズであるプロスポーツのメディアバリューを利用して多様な人々に便益を提供することを考えて設計・経営されている。こうしたアプローチは、わが国のスポーツ施設政策にも参考になるかもしれない。特に、多くの大都市にはプロ野球やJリーグなどトップ・スポーツの資産が豊富である。プロ野球球団以外はやや力不足だが、札幌ドームのように複数のクラブによるマルチフランチャイズにすることも考えられるだろう。

以上のように、特に大都市部では、スポーツ施設の整備や経営にこれまでとはかなり異なるアプローチの施策が求められると考える。一方で、それに対する多様な選択肢と可能性があるというのが強みでもあると思う。

2010年8月 1日 (日)

成人のサッカー実施率は増えている?

先日、7月の日本スポーツ産業学会で発表した抄録をアップしたのだが、この発表で行ったSSF「スポーツライフデータ」の二次分析の結果で興味深かったのは、過去1年間に実施した「競技種目」のうち野球やソフトボール、テニス、バレーボールといったほとんどの種目の実施率が1996年の調査以降減少もしくは停滞するなか、競技種目としてはサッカーとフットサルが明確な増加傾向を示したことだった(表と図参照)。

Ssf

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#他にはソフトテニスとソフトバレーもわずかだが増加傾向

「スポーツライフデータ」は全国調査でサンプルサイズが2,000程度なので、反応数が2%で40人、5%でも100人程度。代表値としての精度が低い点は注意が必要だが、クロス集計では一応有意差ありだし明確な上昇トレンドを示している。

さて、この数値を皆さんはどうお考えになるか?
フットサルは近年盛んになってきた種目なのでわかる気もするのだが、サッカーはどういうことだろう?

興味深いのは、JFAの登録者数は同時期増えていないということ。
http://www.jfa.or.jp/jfa/databox/player/year/index.html

そもそも野球とソフトボールの実施率が減ってきてるのも気になる。
こちらは世代的なものかな?
ご意見いただけると幸い。

一つ言えることは、わが国のスポーツ施設数は、単一種目の施設としては「野球場・ソフトボール場」はプール、テニスコートについて3番目。この文科省の調査では「サッカー場」は項目にすら挙げられていない。もちろん、「球技場」や「陸上競技場」などでも行われているが、両者を足しても「野球・ソフトボール場」の半数程度。もちろん、これらは他の種目と併用である。ちなみに公共と民間の「多目的運動場」が合計で10,000か所あり、こちらでもサッカーは可能のところがあるが、その実態は把握できてない。

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知人が教えてくれたことだけど、都立のスポーツ施設は、数だけでなく設備(照明など)の点でも野球とサッカーで著しくバランスを欠いているそうだ。
https://yoyaku.sports.metro.tokyo.jp/web/html/kouenichiran100607.html

SSFスポーツライフデータによると、1996年時点では、野球とサッカーは実施率の差が3倍以上あったが、2008年の調査ではほとんど同程度である。今後スポーツ施設を整備するのであれば、こうした住民のスポーツ実施率や施設の利用実態をきちんと調べた上で整備検討してほしい。

この段階で僕の意見を述べれば、サッカー場をつくれ、というのではなく、多目的多用途に使えるスタンド付きの競技場がお勧め。

一部の種目だけでなくより多くの種目(あるいはスポーツ以外も)の開催可能性と、「する人」だけでなく「観る人」にも配慮した施設は、より多くの国民の便益に資すると期待できる。

「コミュニティスポーツ」の「コミュニティ」とは、スポーツをする人だけのことを指すのではない。
欧米の施設を見学して気づくのは、簡易ではあるがたいてい観客席がついていること。
ロンドンの公共スポーツ施設を案内してくれたイギリス人は、公共のプールに観客席がついているのを「これはコミュニティの施設だから」と説明した。つまり、コミュニティのスポーツ大会は、家族や地域の人々が応援に来るというのが前提になっている、ということらしい。

わが国のスポーツ施設整備にぜひ取り入れてほしい視点だと思う。

2010年5月14日 (金)

「社会のなかのスポーツ」指導者のためのスポーツジャーナル、2008年冬号、pp.31-33

日本体育協会が体育指導員に向けて発行している「指導者のためのスポーツジャーナル」に寄稿したものを体協の許可を得て掲載します。
こちらの評論はサポティスタ編集人の岡田康宏さん著「日本サッカーが世界で勝てない本当の理由」(pp.117-120)の中でも引用されています。こちらもぜひお読みください。

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寄稿「社会のなかのスポーツ」

江戸川大学社会学部経営社会学科・准教授 澤井和彦

 「スポーツの価値」や「成果」といったものについてはさまざまな言説や学説があります。「心身の健全な発達」という古典的なものから、「道徳化機能(スポーツマンシップやフェアプレイ)」「人間の認識領域の拡大(限界への挑戦)」等々。しかし、ここではこうした規範的・理念的な観点ではなく、経験的な事実性の観点から、スポーツの価値と成果について考えてみたいと思います。経験的な事実性とは、たとえば次のようなケースです。

財政赤字に苦しむ大阪府とスポーツ

 ご存知のように、大阪府は2007年度末で約5兆円の借金を抱えており、今年5月に発表された「財政再建プロジェクト」では、聖域なき歳出削減の方針のもと、すべての経費や公共サービスにわたって合計1、100億円の収支削減が掲げられました。この中には大相撲三月場所の会場である大阪府立体育館の売却や、フィギュアスケートの高橋大輔選手も練習していたという「臨海スポーツセンター」の廃止売却も含まれており、関係者に大きな衝撃を与えました。日本相撲協会は北の湖理事長(当時)が橋下知事に存続を申し入れ、また日本スケート連盟も存続を申し入れるとともに、保護者が中心となり「臨海スポーツセンター存続の会」を発足させて署名活動を行ったり、高橋選手や荒川静香選手らも記者会見やイベントなどで存続を訴えました。その結果、両施設とも存続が決定しましたが、臨海スポーツセンターは委託費を縮減、改修費も支出しない方針ということで、今後の運営が課題となっています。
 ところで、この大阪府の財政再建案では、医療、福祉、教育、治安など、市民生活の根幹にかかわるような領域にまで廃止もしくは削減の検討が及んでいます。たとえば、独居老人の身守り事業や、小学生の下校時の見送り事業などへの補助金が廃止になったそうです。また、スポーツの他にも、たとえば大阪センチュリー交響楽団は補助金全額カットの可能性もあり、存続の危機に立たされています。

 スポーツにはお金がかかる

 このケースでは、ふだんスポーツにコミットしている私たちに見えにくかった事実性が露わになっています。
 一つめは、スポーツにはお金がかかるということです。近代スポーツは規格化された施設や人(選手、審判など)、道具を必要とするきわめてコストのかかる活動であり、この点で「遊び」や「伝統スポーツ」などとは決定的に区別されます。わが国では、こうしたコストが公共セクターや企業の管理コスト(福利厚生費等)といった「再分配」によって賄われ、私たちは子どものころからほとんどコストを意識することなくスポーツを享受してきました。まだ不十分という意見もありますが、こうした再分配によるスポーツ環境の整備は、明らかにわが国の経済成長(企業利益と税収)に支えられています。「スポーツは文化である」とか「スポーツは国民の基本的権利である」といった理念を語れるのも、実は経済次第だという現実です。

 スポーツは生活の基盤?

 二つめに、スポーツが医療や福祉、教育、治安あるいは芸術といった他の領域との比較と予算割当ての優先順位づけに晒(さら)される中で、スポーツの価値や成果といったものが、実はきわめて限定的なものだということが露わになっています。たとえば、私たちが「スポーツは文化だ」とか「国民の基本的権利だ」というとき、それは国民全体が共有する生活の基盤であることを意味しています。しかし、さまざまな統計を見ても、ウォーキングや軽体操といった「エクササイズ」を除いたスポーツ実施率は、「スポーツは生活の基盤である」と主張できるほど高くありません。公共施設を利用する人もごく一部です。かつてある自治体ですべての公共スポーツセンターを調査したところ、利用者の実数は全人口の1・5%にすぎませんでした。加えてスポーツでは、「なぜスケートであって他の種目ではないのか」といった疑問も生じがちです。スポーツのすべての種目が、この疑問に完璧に答えることはできません。これでは、医療や福祉、教育、治安といった、すべての市民が必要としているサービスに対して相当分が悪くなります。

 税金依存のスポーツ

 もちろん、以上のような見方に対しては、次のような批判がありえます。
スポーツも含めて、そもそも社会にとって必要な価値や成果のあるサービスが、どちらが大事かというような優先順位の問題として扱われること自体が異常な事態ではないか、と。大阪府の借金もバブル崩壊後の景気対策として行われた大規模公共事業の失敗によるものであり、まさに資本主義のシステムが、医療や福祉やスポーツといった私たちの生活世界の基盤を侵食しているのではないか、というわけです。
 しかし、こうした批判は的外れです。述べたように、問題の本質はスポーツにお金がかかるということと、限られた予算のなかで常に割当ての対象になるという経済的な事実性にあります。スポーツは経済成長がなければここまで普及しえませんでしたし、一方で「生活の基盤」といえるほどまでは普及していません。そのコストを行政の再分配(税金)に依存している段階で、すでに私たちの生活世界は、その背後にある経済システムに条件づけられているのです。

スポーツのポジション確立へ向けて

 大阪府で起こっていることは、これから多くの自治体で起こる可能性があります。現在、わが国は政府が550兆円、地方自治体全体で190兆円を超える借金(長期債務)を抱え、国も地方も財政再建に四苦八苦しています。その一方で、わが国は高齢者の医療や介護、少子化による人口の減少、雇用の非正規化、格差の拡大、医師不足、地域社会の空洞化等々、さまざまな社会問題を抱えています。
 では、こうした状況下でスポーツはいかにしてその領域を確保していけばいいでしょうか。

市場メカニズムの導入

 一つめは、国や自治体に集(たか)らず、スポーツのコストを自分たちでまかなうことです。
 現在、スポーツ界では市場メカニズムの導入が進んでいます。Jリーグや地域の独立プロリーグの設立、公共スポーツ施設の民間委託などがそうです。しかし、スポーツのコストを市場メカニズムだけですべて確保することは、おそらくできません。世界でも最も成功していると言われるメジャーリーグやNBAといった北米のプロスポーツやイングランドのプレミアリーグでも、特にスタジアム建設においてしばしば多額の公的支援を受けています。とはいえ、税金頼み一辺倒から市場メカニズムの導入へという流れは、もはや後戻りできないでしょう。

 スポーツの成果を示す

 二つめは、スポーツへの公的支出に対し、明確な「成果」を提供することです。このとき、その「成果」の内容と評価が問題になります。日本より10年くらい早く財政問題と社会問題の板挟みを経験している欧米では、成果重視型の政策である「新しい公共政策(NPM;New Public Management)」への転換が図られていますが、そのNPMでは政策の実行(アウトプット)と成果(アウトカム)を厳密に区別します。そしてただ単に「スポーツを実施した(予算を消化した)」という「アウトプット」ではなく、住民の何%が参加したのか、参加者の満足度はどうだったのかといった「アウトカム」を評価します。また、そのアウトカムはできるだけ数値的・客観的に評価できるものが要求されます。成果が評価不能であるためにしばしば生じる無責任が、この政策手法の最大の課題だからです。そういう意味で、たとえば「心身の健全な発達」とか「スポーツによる道徳教育」というような、成果の曖昧になりがちな事業には注意が必要です。

社会問題の解決

 さらに、成果の内容として重要なのは、スポーツが社会問題の解決にどう貢献できるか、という観点です。述べたように、わが国にはさまざまな社会問題が山積していますが、スポーツもそうした問題と無縁ではありません。また、スポーツにはそうした社会貢献のポテンシャルがあるからこそ公的に支援されているという側面があります。
 再び欧米の事例ですが、たとえばイングランド2部リーグのコヴェントリー・シティFCのホームスタジアムである「リコー・アリーナ」(公共施設)は、荒廃した地域の再開発計画の中心に位置づけられ、アリーナ周辺だけで2700人の雇用を産み出し、地域の家計収入を向上させています。また、アリーナ内には地域の学習センターが入っており、小中学生の学習支援や若年者の職業教育を行っています。スタジアムによって地域の求心力を高めて賑わいを創出し、再開発の成功の可能性を高めるとともに、福祉、教育、雇用、治安といった社会問題の解決に寄与しようというわけです。
 北米のプロスポーツリーグもそうですが、彼らはしばしばスポーツがさまざまな社会問題の解決に貢献できることを主張して公的支援を引き出します。もちろん、これらはスポーツが公的支援を受けるための方便であり、特に北米ではプロスポーツリーグへの公的支援が他の分野への公的支出を圧迫し、お金持ちのオーナーだけが儲けているという鋭い批判もあります。ただ、彼らの戦略とマネジメントには学ぶところが多いと思います。

地域の紐帯を再構築

 「社会問題」というと大げさに聞こえるかもしれませんが、問題は私たちのすぐ身近にあります。たとえばわが国では、農村やニュータウンや中心市街地など、共同体が空洞化した地域社会のさまざまな問題に対処するために、個人が選択できる「多様なコミュニティ」を立ち上げ、それらをネットワーク化して「地域社会の紐帯」を再構築しようという試みがいろいろなところでなされています。「スポーツクラブ」にも当然そうした機能が期待されますが、公的な支援を受けるスポーツ団体であれば、私的なコミュニティにとどまらない活動が期待されます。サッカー協会やJリーグは、そこらへんをかなり意識して経営に取り込んでいるようにみえます。

 簡単にまとめます。スポーツの価値や成果は、経済的な条件と社会的な関係性の中で構築されます。その際、スポーツのポジションの確立には、市場メカニズムの導入と社会的成果、特に社会問題への貢献が課題になると思います。以上は私の仮説であり、半分は期待でもあります。

 ところで、北京オリンピック終了後、関係者からはオリンピック選手の強化費を現在の3倍に増やしてほしいという声があるそうですが、みなさんはどう思われるでしょうか。わが国の財政状況やさまざまな社会問題を踏まえたうえで、ぜひ考えてみていただければと思います。
 オリンピック選手の強化にお金をかけるのも結構ですが、「社会問題の解決」という観点からみると、私はむしろ最前線でスポーツの普及と指導に当たる指導者の皆さんの方が、その可能性を秘めているような気がします。

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