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« 「スポーツにはお金がかかる」サポティスタ、2009年3月27日 | トップページ | 週刊東洋経済「スポーツビジネス徹底解明」2010年5月15日、p.34 »

2010年5月14日 (金)

「社会のなかのスポーツ」指導者のためのスポーツジャーナル、2008年冬号、pp.31-33

日本体育協会が体育指導員に向けて発行している「指導者のためのスポーツジャーナル」に寄稿したものを体協の許可を得て掲載します。
こちらの評論はサポティスタ編集人の岡田康宏さん著「日本サッカーが世界で勝てない本当の理由」(pp.117-120)の中でも引用されています。こちらもぜひお読みください。

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寄稿「社会のなかのスポーツ」

江戸川大学社会学部経営社会学科・准教授 澤井和彦

 「スポーツの価値」や「成果」といったものについてはさまざまな言説や学説があります。「心身の健全な発達」という古典的なものから、「道徳化機能(スポーツマンシップやフェアプレイ)」「人間の認識領域の拡大(限界への挑戦)」等々。しかし、ここではこうした規範的・理念的な観点ではなく、経験的な事実性の観点から、スポーツの価値と成果について考えてみたいと思います。経験的な事実性とは、たとえば次のようなケースです。

財政赤字に苦しむ大阪府とスポーツ

 ご存知のように、大阪府は2007年度末で約5兆円の借金を抱えており、今年5月に発表された「財政再建プロジェクト」では、聖域なき歳出削減の方針のもと、すべての経費や公共サービスにわたって合計1、100億円の収支削減が掲げられました。この中には大相撲三月場所の会場である大阪府立体育館の売却や、フィギュアスケートの高橋大輔選手も練習していたという「臨海スポーツセンター」の廃止売却も含まれており、関係者に大きな衝撃を与えました。日本相撲協会は北の湖理事長(当時)が橋下知事に存続を申し入れ、また日本スケート連盟も存続を申し入れるとともに、保護者が中心となり「臨海スポーツセンター存続の会」を発足させて署名活動を行ったり、高橋選手や荒川静香選手らも記者会見やイベントなどで存続を訴えました。その結果、両施設とも存続が決定しましたが、臨海スポーツセンターは委託費を縮減、改修費も支出しない方針ということで、今後の運営が課題となっています。
 ところで、この大阪府の財政再建案では、医療、福祉、教育、治安など、市民生活の根幹にかかわるような領域にまで廃止もしくは削減の検討が及んでいます。たとえば、独居老人の身守り事業や、小学生の下校時の見送り事業などへの補助金が廃止になったそうです。また、スポーツの他にも、たとえば大阪センチュリー交響楽団は補助金全額カットの可能性もあり、存続の危機に立たされています。

 スポーツにはお金がかかる

 このケースでは、ふだんスポーツにコミットしている私たちに見えにくかった事実性が露わになっています。
 一つめは、スポーツにはお金がかかるということです。近代スポーツは規格化された施設や人(選手、審判など)、道具を必要とするきわめてコストのかかる活動であり、この点で「遊び」や「伝統スポーツ」などとは決定的に区別されます。わが国では、こうしたコストが公共セクターや企業の管理コスト(福利厚生費等)といった「再分配」によって賄われ、私たちは子どものころからほとんどコストを意識することなくスポーツを享受してきました。まだ不十分という意見もありますが、こうした再分配によるスポーツ環境の整備は、明らかにわが国の経済成長(企業利益と税収)に支えられています。「スポーツは文化である」とか「スポーツは国民の基本的権利である」といった理念を語れるのも、実は経済次第だという現実です。

 スポーツは生活の基盤?

 二つめに、スポーツが医療や福祉、教育、治安あるいは芸術といった他の領域との比較と予算割当ての優先順位づけに晒(さら)される中で、スポーツの価値や成果といったものが、実はきわめて限定的なものだということが露わになっています。たとえば、私たちが「スポーツは文化だ」とか「国民の基本的権利だ」というとき、それは国民全体が共有する生活の基盤であることを意味しています。しかし、さまざまな統計を見ても、ウォーキングや軽体操といった「エクササイズ」を除いたスポーツ実施率は、「スポーツは生活の基盤である」と主張できるほど高くありません。公共施設を利用する人もごく一部です。かつてある自治体ですべての公共スポーツセンターを調査したところ、利用者の実数は全人口の1・5%にすぎませんでした。加えてスポーツでは、「なぜスケートであって他の種目ではないのか」といった疑問も生じがちです。スポーツのすべての種目が、この疑問に完璧に答えることはできません。これでは、医療や福祉、教育、治安といった、すべての市民が必要としているサービスに対して相当分が悪くなります。

 税金依存のスポーツ

 もちろん、以上のような見方に対しては、次のような批判がありえます。
スポーツも含めて、そもそも社会にとって必要な価値や成果のあるサービスが、どちらが大事かというような優先順位の問題として扱われること自体が異常な事態ではないか、と。大阪府の借金もバブル崩壊後の景気対策として行われた大規模公共事業の失敗によるものであり、まさに資本主義のシステムが、医療や福祉やスポーツといった私たちの生活世界の基盤を侵食しているのではないか、というわけです。
 しかし、こうした批判は的外れです。述べたように、問題の本質はスポーツにお金がかかるということと、限られた予算のなかで常に割当ての対象になるという経済的な事実性にあります。スポーツは経済成長がなければここまで普及しえませんでしたし、一方で「生活の基盤」といえるほどまでは普及していません。そのコストを行政の再分配(税金)に依存している段階で、すでに私たちの生活世界は、その背後にある経済システムに条件づけられているのです。

スポーツのポジション確立へ向けて

 大阪府で起こっていることは、これから多くの自治体で起こる可能性があります。現在、わが国は政府が550兆円、地方自治体全体で190兆円を超える借金(長期債務)を抱え、国も地方も財政再建に四苦八苦しています。その一方で、わが国は高齢者の医療や介護、少子化による人口の減少、雇用の非正規化、格差の拡大、医師不足、地域社会の空洞化等々、さまざまな社会問題を抱えています。
 では、こうした状況下でスポーツはいかにしてその領域を確保していけばいいでしょうか。

市場メカニズムの導入

 一つめは、国や自治体に集(たか)らず、スポーツのコストを自分たちでまかなうことです。
 現在、スポーツ界では市場メカニズムの導入が進んでいます。Jリーグや地域の独立プロリーグの設立、公共スポーツ施設の民間委託などがそうです。しかし、スポーツのコストを市場メカニズムだけですべて確保することは、おそらくできません。世界でも最も成功していると言われるメジャーリーグやNBAといった北米のプロスポーツやイングランドのプレミアリーグでも、特にスタジアム建設においてしばしば多額の公的支援を受けています。とはいえ、税金頼み一辺倒から市場メカニズムの導入へという流れは、もはや後戻りできないでしょう。

 スポーツの成果を示す

 二つめは、スポーツへの公的支出に対し、明確な「成果」を提供することです。このとき、その「成果」の内容と評価が問題になります。日本より10年くらい早く財政問題と社会問題の板挟みを経験している欧米では、成果重視型の政策である「新しい公共政策(NPM;New Public Management)」への転換が図られていますが、そのNPMでは政策の実行(アウトプット)と成果(アウトカム)を厳密に区別します。そしてただ単に「スポーツを実施した(予算を消化した)」という「アウトプット」ではなく、住民の何%が参加したのか、参加者の満足度はどうだったのかといった「アウトカム」を評価します。また、そのアウトカムはできるだけ数値的・客観的に評価できるものが要求されます。成果が評価不能であるためにしばしば生じる無責任が、この政策手法の最大の課題だからです。そういう意味で、たとえば「心身の健全な発達」とか「スポーツによる道徳教育」というような、成果の曖昧になりがちな事業には注意が必要です。

社会問題の解決

 さらに、成果の内容として重要なのは、スポーツが社会問題の解決にどう貢献できるか、という観点です。述べたように、わが国にはさまざまな社会問題が山積していますが、スポーツもそうした問題と無縁ではありません。また、スポーツにはそうした社会貢献のポテンシャルがあるからこそ公的に支援されているという側面があります。
 再び欧米の事例ですが、たとえばイングランド2部リーグのコヴェントリー・シティFCのホームスタジアムである「リコー・アリーナ」(公共施設)は、荒廃した地域の再開発計画の中心に位置づけられ、アリーナ周辺だけで2700人の雇用を産み出し、地域の家計収入を向上させています。また、アリーナ内には地域の学習センターが入っており、小中学生の学習支援や若年者の職業教育を行っています。スタジアムによって地域の求心力を高めて賑わいを創出し、再開発の成功の可能性を高めるとともに、福祉、教育、雇用、治安といった社会問題の解決に寄与しようというわけです。
 北米のプロスポーツリーグもそうですが、彼らはしばしばスポーツがさまざまな社会問題の解決に貢献できることを主張して公的支援を引き出します。もちろん、これらはスポーツが公的支援を受けるための方便であり、特に北米ではプロスポーツリーグへの公的支援が他の分野への公的支出を圧迫し、お金持ちのオーナーだけが儲けているという鋭い批判もあります。ただ、彼らの戦略とマネジメントには学ぶところが多いと思います。

地域の紐帯を再構築

 「社会問題」というと大げさに聞こえるかもしれませんが、問題は私たちのすぐ身近にあります。たとえばわが国では、農村やニュータウンや中心市街地など、共同体が空洞化した地域社会のさまざまな問題に対処するために、個人が選択できる「多様なコミュニティ」を立ち上げ、それらをネットワーク化して「地域社会の紐帯」を再構築しようという試みがいろいろなところでなされています。「スポーツクラブ」にも当然そうした機能が期待されますが、公的な支援を受けるスポーツ団体であれば、私的なコミュニティにとどまらない活動が期待されます。サッカー協会やJリーグは、そこらへんをかなり意識して経営に取り込んでいるようにみえます。

 簡単にまとめます。スポーツの価値や成果は、経済的な条件と社会的な関係性の中で構築されます。その際、スポーツのポジションの確立には、市場メカニズムの導入と社会的成果、特に社会問題への貢献が課題になると思います。以上は私の仮説であり、半分は期待でもあります。

 ところで、北京オリンピック終了後、関係者からはオリンピック選手の強化費を現在の3倍に増やしてほしいという声があるそうですが、みなさんはどう思われるでしょうか。わが国の財政状況やさまざまな社会問題を踏まえたうえで、ぜひ考えてみていただければと思います。
 オリンピック選手の強化にお金をかけるのも結構ですが、「社会問題の解決」という観点からみると、私はむしろ最前線でスポーツの普及と指導に当たる指導者の皆さんの方が、その可能性を秘めているような気がします。

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